なぜ勉強が役に立つのか

「学校の勉強が社会に出て役に立つか?」という話を聞くことがあります。
真面目に勉強をがんばっている子ほどそう感じることが多いようです。
大人があまり詳しく説明しないので、もやもやするのは当然かもしれません(笑)

今回はなぜ勉強が役に立つのかを書いていきます。

勉強が役に立つか立たないかは個人の認識によります。
役に立つと思う人には役に立つし、そうじゃないと思う人にはどうでもいいでしょう(笑)
工学系の仕事なら高次関数や多次元方程式もガンガン使うけど、ラーメン屋さんがラーメンをつくるのに三角関数は必要ないかもしれません(笑)

しかし、役に立たないと思う人でも、勉強をする理由はちゃんとあります。

それは、教養を身に着けるためです。

教養とは一般常識と考えられることも多いですが、広義では理性や知性そのものを指します。
単純に、知識を所有することを教養とはいいません。
教養とは、心の豊かさのことです。

もちろん、勉強以外にも教養を身に着ける方法はあります。
本を読んだり、人と話したり、アニメやゲームの体験も教養につながるかもしれません。

ただ、学校の勉強は原理や原則から知識を学びます。
これは非常に抽象度が高いです。
抽象度が高いというのは、色々な役に立つということです。

国語は思考力を伸ばすし、数学は物事の関連性を解き明かします。
これらは、文化的な生活を営むうえで必ず役に立っています。

例えば、会話の原則となる言語は学校で学びます。
「かくしきがたかい」という言葉を聞いて、かくしきの意味がわからなくても、漢字を勉強していれば、なんとなく「格式」という字が思いつき、厳かだとか、堅苦しいといったニュアンスが頭に浮かびます。
国語の教科書では情景描写と心情描写の結びつきを解説されますが、友達を遊びに誘って「今日は寒いよね」と言われたら「出かけるのに乗り気ではないのかもしれない…」と、想像力を働かせることもできます(笑)
逆に「いい天気だよね!」と声をかけられたら、どこかに誘ってみてもいいかもしれませんよね。
国語力はコミュニケーションの下地になります。

数学に関しても、学校で学ぶのは1+1が2になる、という大元の原理です。
1+1くらい学校で習わなくてもわかるよ!と思うかもしれませんが、発達の段階で正しい知識を身に着けることは大変に重要です。
足し算がわからなければ、掛け算や割り算もわからないでしょう。
であれば、そのぶん世界への理解が遅れます。
そして、四則演算を身に着けるからこそ、生活の中に存在するあらゆる関数にアンテナを立てることができるのです。
方程式を学ぶことで物事の因果関係の構造が見えるわけですが、これを中学生が理解できるのは実はすごいことなのです!

文脈を読んだり、イコールで解を結ぶのもしっかり理由があります。
大人が「勉強は役に立つ」と言うのはこのためです。

「学校の勉強が役に立たない」のではなく、役に立ちすぎて気づかないというのが本当のところかもしれません。
言葉があるから会話ができるし、論理思考があるからやるべきことがわかるのです。
勉強の前提に、私たちの生活は成り立っています。

当たり前なだけで、誰にとっても教養は必要です。
豊かな心を育てていきましょう!