子どもにはいっしょうけんめい勉強してほしいですよね。
教養を身に着ければ人間性が豊かになって、幸せになれるかもしれません。
しかし、勉強してほしいと願うのは、単純に知恵をつけてほしいからでしょうか?
今回は勉強と経済力について書いてきます。
勉強には様々な意味がありますが、
「いい大学に進学してほしい」
「いい仕事に就いてほしい」
という思いから、子どもに学んでほしいと
考える方が多いようです。
なぜいい仕事に就くことが大切なのでしょうか?
おそらく、それはいい仕事に就くことで経済的に
安定するからでしょう。
要するに、お金を稼がせるために勉強させているのです。
これが偏差値教育における経済洗脳になっています。
「勉強していい会社に勤めることが幸せ」
「学歴がない非正規やフリーターは負け組」
と、大人も子どもも勉強を通して社会的な刷り込みを受けています。
こういった洗脳を繰り返すことで得をするのは
企業の経営者や税金を集めている政治家です。
いずれも労働者から時間やお金を搾取する立場にあります。
労働者がいなくなると彼らは既得権益を維持できません。
つまり、権力者によって社会のレールが敷かれているのです。
私たちはそれを幸せだと思い込み、悪気なく子どもに勉強を詰め込んでいます。
勉強はもちろん大切ですし、いい大学に進学したり、いい仕事に就くことでお金が稼ぎやすくなるのは事実でしょう。
しかし、お金を稼ぐのに大切なのは必ずしも学歴だけではありません。
学歴がない人でも稼ぐ人はいますし、有名な大学を出ている人でも思うように稼げていない人はいます。
お金の本質は、少なくても学歴ではありません。
けれども、大人は子どもに学歴を身に着けさせる選択しか選べなくなるような仕組みがつくられています。
必要以上にお金を稼がなくても幸せに生きることはできますが、
そうした価値観は社会に覆い隠されています。
思考を遮断されているから、
「どうして勉強するの?」という質問に、大人が答えられません。
学校のテストや課題の多くが単位の修了という目的に集約されており、修了し、卒業するということは、受験や就職のステージに送り出されるということです。
それらは学歴という価値観の中での話でしかありません。
子どもにしてみれば、学歴よりも友達に助けられることの方が多いし、自分よりお金を持っている大人が肩を落として生きているので、勉強をすることに意義を見出せません。
あたかも学歴を身に着けることが人生の幸福であるかのような欺瞞に、勉強している子どもは気づいています。
学歴も経済力も、ないよりはあったほうがいいでしょう。
自分のバランスで身に着けていければそれでよいと思います。
ただ、子どもの人生にとってそれがすべてではなく、
あるいは幸せのほんの一部に過ぎないことを、
大人が心に留めることは大切かもしれません。
なぜやるのか、どうして必要なのかを冷静に考えた時、
「結果としてやってしまっていた」というものが
人生の本質に近いのだと思います。
外側からの強制ではなく、価値観を内側に飲み込んでいけるような教育を施していきたいですよね。
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