鈍感と無関心

部屋が散らかっていたり、
宿題をやるのが遅かったり、
大人から見ると子どもは
だらしなく思えるかもしれません(笑)

あれこれ気にかかることは多いですが、
ずっとハラハラしていると
こちらも疲れてしまいますよね。
「気にしないくらいがちょうどいい」
などとも言われますが、
気にしないとはどういうことでしょうか?

今回は鈍感さについて書いてきます。

鈍感か敏感かという認識は、
本人の価値基準と感覚値によります。

同じ部屋にいても
「寒い!」と感じる人と、
「ちょうどいい」と感じる人がいるように、
個人の感覚はそれぞれ異なるものです。

ペンギンやアザラシが寒いと感じてなくても、
自分が寒かったら死んでしまいますよね(笑)
だから、他の人が
「ちょうどいい」と言っても、
自分は「寒い!」と感じる必要が
あるわけです。

寒いと感じる人に「寒がるな!」
と言っても寒さは変わらないように(笑)、
感覚はナチュラルなものなので、
無くなることはありません。

それでも寒さに耐えるとしたら、
それは価値基準を変えることです。
「寒くてもかまわない」
と思うことは、極端に言えば
「死んでもかまわない」
と思うことです。
命がいらなければ、
暑さや寒さはどうでもよくなるでしょう。

「気にしない」というのも同様で、
気にならないというのは
「どうでもいい」ということです。
「部屋が散らかっていても気にしない」
というのは
「散らかっていてもどうでもいい」
と思うことです。

「鈍感さ」は単なる「無関心」で
「無責任」とも言えます。
本当に気にならなくなったとしたら、
それはもう自分に必要がなくなった
ということでしょう。

指導者に大切なのは
「気にするけど見守る」
というスタンスです。
それは、単純な鈍感ではなく
「寛容」です。
相手を思いやるからこそ、
次元の高い理性と知性を
持てるのではないでしょうか。

鈍感になれる人はいません(笑)
もとから鈍感な人と、
そうでない人がいるだけです。
鈍感を身に着けたと嘯く人は、
自分で心を麻痺させただけでしょう。
それが悪いわけではありませんが、
思いやりを忘れてしまっては
人と接していても空虚なだけです。
あたたかい心を持って、
指導に臨みたいですね。